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2016年8月14日 (日)

自由研究「長谷川貞雄」⑳―十郎島・八幡神社幟旗

 昨年秋、磐田市川袋の長谷川家で教えていただいた話―十郎島の八幡神社祭礼の幟旗も長谷川貞雄が書いた文字との情報でした。

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 そして、その祭礼が催されたのが8月13日。私は朝っぱらから秋葉山に登っていましたので、幟旗の確認には名倉愼一郎さんが行ってくれました。そして、届いた写真には、鳥居奥に翻る「八幡神社御祭禮」の幟旗が写っています。

 さらに幟旗の下部には、「正四位長谷川貞雄謹書」の文字が。間違いありません。

 幟旗は「昭和五十一年八月再製」ですが、江口の八幡神社の幟旗と同じ「藤原貞雄」「秋岳之印」と読める落款が見られます。「正四位」ですから、白羽神社の位階と同じ。明治維新では遠州報国隊員として討幕隊に参加し、海軍主計総監、貴族院勅選議員を務めて中央政界で活躍した人物です。

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 そして、先ほど(14日)、私も八幡神社に出かけて来ました。夕べの雨で幟旗はすっかり濡れてしまっていました。幟旗を大切に継承し、長谷川貞雄とは何者であるのかについて、後世に伝えて行くのは、私たちの世代の仕事です。

 実は、1週前の8月6日、川袋の八雲神社の祭礼にも行って来ました。幟旗は、現在使われているものだけでなく、古い物まで見せていただくことができたのですが、残念ながら長谷川貞雄が書いたと言われる幟旗の文字は見当たりませんでした。

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2016年7月13日 (水)

世界遺産の富士ドライブ③―忠魂碑と駿州赤心隊之碑

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 富士山本宮浅間大社の境内西には、忠魂碑が建てられています。溶岩を積み上げた高い石積みの上に建てられた石碑には「侯爵 西園寺公望書」「明治三十七八年戦役 彰忠碑」と刻まれていますので、日露戦争の戦死者の霊を祀るためのもの。

 そして、境内東には「駿州赤心隊之碑」があります。遠江国に結成された神官層主体の民兵隊が遠州報国隊を名乗ったのに対し、駿河国では駿州赤心隊が組織され、ともに有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が大総督を務めた東征隊に参加し、討幕のため江戸へと進軍しました。

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 考えてみれば、徳川家康が造営を命じた浅間大社に討幕隊の顕彰碑が建てられているのも、不思議な縁。駿州赤心隊隊長の富士亦八郎重本は、浅間神社神職の家柄であったことが、浅間大社に駿州赤心隊之碑が建てられた所以です。

 「駿州赤心隊之碑」の字は「蘓峯菅正敬書」と刻まれていますので、「国民之友」「国民新聞」を発刊し平民主義を唱えた徳富蘇峰が書いた字です。

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2016年2月12日 (金)

自由研究「続・遠州報国隊」⑱―曽許乃御立神社の「忠魂碑」

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 西区呉松町に鎮座する曽許乃御立(そこのみたち)神社の通称は「お鹿島さま」。舘山寺街道添いにある鳥居から根本山の南へと向かい、3つ目の鳥居を抜けると西向きに建てられた社殿の前に出ます。

 忠魂碑群があるのは、境内の西。中央に位置する「忠魂碑」には「陸軍大将正三位勲一等功三級男爵大久保春野題額」の文字が刻まれ、この文字を書いたのは、遠州報国隊の隊員であり、後に陸軍大将まで上り詰めた大久保春野だったことが分かります。

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 ただ、1つ気になることがあります。碑の建立は「大正紀元歳次壬子八月」とありますので、大正元年(1912)であるのは間違いないのですが、大久保春野は明治39年(1906)4月に功二級金鵄勲章を受章しています。

 当然ですが、大正元年の正しい肩書は「功三級」ではなく「功二級」であるはず。とんでもない間違いですが、今さら横棒を1本減らすことはできませんね。

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2016年2月11日 (木)

自由研究「続・遠州報国隊」⑰―浜北区寺島神明宮の「忠魂碑」

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  浜北区寺島の神明宮の鳥居をくぐった左手の石段の上、玉垣に囲まれた中に「忠魂碑」と砲弾型の「日清日露戦捷記念碑」とが並んで建てられています。そして、その「忠魂碑」には、「陸軍大将正三位勲一等功二級男爵大久保春野書」と刻まれていました。

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  まだまだあるはずですが、なかなか出会うことはできません。かと思うと、探すつもりもなく立ち寄った神社で、こうして出会うこともあるのです。

 同じ大久保春野が書いた字ですから、同じ書体になるはずですが、神明宮の「碑」の字の「石」の1画と2画の合わせがこれまで見てきた「碑」の字とは違っています。当たり前のことかも知れませんが、一度書いた「忠魂碑」の書を使いまわして刻んだものではないことが分かります。

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2016年2月 6日 (土)

自由研究「長谷川貞雄」⑲―宇布見・中村家

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  長谷川貞雄が、雄踏町宇布見の名門・中村家から八雲神社神主の家に養子に入ったことは、すでに紹介した通り。しかし、当主である中村家28代貞則(1821~1889)は、逆に長谷川家から中村家への養子であり、長男であった貞雄を長谷川家に返す形で養子に出し、貞雄と同様に幕末には遠州報国隊へも参加していました。

 そして、中村家には、29代となる東海 (1835~1922)を娘婿に迎え、東海もやはり遠州報国隊に参加していましたので、五社公園にある「戊辰之役報國紀念碑」には、中村東海の名が刻まれていました。

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  東海の名が刻まれていたのは、「發起人」と「寄附者」としての2ヶ所。金額は「廿円」です。

 長谷川貞雄、中村貞則、東海と3人の報国隊員を生み出した宇布見の中村家の寄棟造葦葺平屋建の主屋は、国指定重要文化財。見学日は毎週、金・土・日曜日と祝日です。

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2016年2月 5日 (金)

自由研究「長谷川貞雄」⑱―「戊辰之役報國紀念碑」に刻まれた長谷川貞敦の名

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 長谷川貞雄が呼びかけ、当時の五社神社境内に建立された「戊辰之役報國紀念碑」には、川袋・八雲神社の神官の職を貞雄に代わって引き継いだ同じ長谷川一門の貞敦の名も刻まれています。

 ただし、長谷川貞敦は遠州報国隊の隊員として参加したとはされていません。貞敦の名が刻まれているのは「寄附者」の欄。金額は「金三円」ですが、貞雄の呼びかけに呼応して寄付した浄財です。

 「戊辰之役報國紀念碑」にびっしりと刻まれた名前を調べて行けば、討幕を成し遂げ、明治新政府推進の大きな原動力となった遠州報国隊が、さらに詳しく見えて来るのかも知れません。

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2016年2月 4日 (木)

自由研究「長谷川貞雄」⑰―浜松開誠館の長谷川鉄雄像

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  五社神社の「戊辰之役報國紀念碑」の「發起人」の筆頭に名を刻まれた長谷川貞雄ですが、死後に建立されたため、「寄附者」には貞雄の四男、「長谷川鉄雄」の名が同じく筆頭に刻まれています。

 金額は「金三拾円」。現在の40万円くらいでしょうか?

 長谷川鉄雄は、明治14年(1881)8月、長谷川貞雄の四男として東京で暮らし、同28年(1895)4月、長谷川家は浜松市松城町に転住しましたが、大正13年(1924)その地に開校したのが誠心高等女学校。現在の開誠館高校です。

 そんな経緯のある開誠館高校を訪ねたところ、玄関先の正面と玄関内の2ヶ所で「長谷川鉄雄先生之像」の立像と「長谷川鉄雄先生」の胸像がありました。

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 立像の下に嵌め込まれた年譜プレートによれば、終戦の年、昭和20年(1945)4月の浜松空襲により、誠心高等女学校校舎と住宅は焼失し、同年8月、鉄雄は弁天島の遠州学友会水泳部宿舎にて65歳でこの世を去りました。

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2016年2月 3日 (水)

自由研究「長谷川貞雄」⑯―死後に建立された「戊辰之役報國紀念碑」

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  以前「自由研究『遠州報国隊』⑥」で紹介した「報國隊建碑之義」のハガキは、現在、五社公園内にある「戊辰之役報國紀念碑」を建てたい旨を、長谷川貞雄が大久保忠利に宛てに記した文書。相談会は明治36年(1903)11月14日に開かれ、4年後の同40年(1907)11月に建立されたのが「戊辰之役報國紀念碑」なのですが、そのハガキを出した長谷川貞雄は、同38年(1905)2月8日に逝去していたはずです。

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  そのことに気づき、長谷川貞雄の名を確認してみようと考え「戊辰之役報國紀念碑」を再訪。裏面いっぱいにびっしりと刻まれた名前の中から、長谷川貞雄の名を探してみました。

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  すると、一番下の列、「發起人」の先頭に「従三位勲二等長谷川貞雄」と刻まれていました。そして、その頭には「故」の文字も刻まれているのに気づきました。つまり、「明治四十年十一月建之」の時、長谷川貞雄はすでにこの世にはいなかったのです。

 長谷川貞雄の左隣には、「男爵大久保春野」の名が刻まれていました。

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2015年12月 3日 (木)

島田・静霊神社の「日清日露戰役祈念之碑」

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 島田・大井神社の境内社、戦没者を祀っている静霊神社に建てられた「日清日露戰役祈念之碑」。石柱の裏に回ってみると「陸軍大将正三位勲一等功二級男爵大久保春野書」と刻まれて、遠州報国隊に参加した磐田見付の淡海國玉神社の神官、大久保春野の書いた字を刻んだものでした。

 建立は「明治四十四年秋之日」。久々に出会った大久保春野の字。大井神社の鎮座地は、遠州報国隊とともに討幕に参加した駿州赤心隊が組織された駿河国です。

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 「日清日露戰役祈念之碑」の文字を書いたのが、そんな縁によるものとも思いませんが、すっきりとした石柱に秋の日が当たり、今後はこんな石碑が2度と建てられることがないように、と訴えるように輝いて見えました。

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2015年11月13日 (金)

自由研究「長谷川貞雄」⑮―小山みゑ

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 蒲神明宮拝殿前の「みいの燈籠」に刻まれた碑文は、前回紹介した通り。小山みゑ(戸籍名みい)さんとは、文政4年(1821)長上郡都盛村に生まれ、機織りに関しては秀でた腕前の持ち主だったようです。

 しかし、機織りなど所詮は農家の副業。産業とまでは言えない仕事だった機織りだったのですが、小山みゑさんは機械を改良し、従業員を雇って製造・販売に力を注ぎ、遠州織物の名を全国に知らしめるまでに育てました。

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 さらに、無用の競争を押さえ、粗製乱造を防ぐため、永隆社という織布業者の組合を組織したという遠州織物の「生みの親」であり「育ての親」でもある人物。

 そんな小山みゑさんの顕彰文を、遠州報国隊に参加し、海軍主計総監や貴族院議員などを務めた長谷川貞雄が書くに至った経緯には、どんなことがあったのでしょう?

 晩年、浜松に住むようになってからは、芳川銀行の頭取や遠州地方公共諸団体の役員を務めたりして、郷土の近代化、発展に寄与した長谷川貞雄。遠州織物のブランド確立にも、一役買っていたのかも知れません。

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