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2016年12月20日 (火)

イサミ写真館の片桐さんから届いた礼状

Ehagaki

 イサミ写真館の片桐さんから礼状が届きました。

 JR飯田線の中部天竜駅前にあったイサミ写真館は、「佐久間ダム建設工事写真展」を開催したばかり。写真展を訪れた私に出してくれたハガキには「昭和30年建設中の佐久間ダム」のモノクロ写真が印刷され、まるで絵葉書みたい。

 かつては久根鉱山近くにあり、フィルムが登場する前、ガラス乾板の時代から撮り続けて来たイサミ写真館の写真の数々は、佐久間の近代化を現代に伝える貴重な資料です。

 写真展の開催を望んでいた私にとっては、貴重な機会となりました。片桐さん、こちらこそ、ありがとうございました!

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2016年4月19日 (火)

観光を柱に台湾鉄道と連携 天竜浜名湖鉄道

Ueda

◆植田社長に聞く

 天竜浜名湖鉄道(天浜線、浜松市天竜区)は、台湾公営の台湾鉄道に「姉妹車庫」の友好協定を結ぼうと呼び掛けている。21日には台湾鉄道の関係者が、天浜線を視察する。植田基靖社長に協定締結の狙いや外国人誘客策を聞いた。

 -何を目指しているのか。

 「台湾の人はローカル線を観光名所と見ていて、誘客のチャンスが大きい。天浜線の活性化を応援する県議連盟と1月に『集集線』など現地のローカル線を視察したが、古い駅舎を背景に記念撮影する人を大勢見掛けた」

 「台湾中部の台鉄彰化駅近くの施設と構造が似ている天竜二俣駅の転車台や扇形車庫など、天浜線には36件の国登録有形文化財がある。関心を持ってもらえるはずだ。協定を結ぶ時期は未定だが、相互に集客メリットがある交流にしたい。5月には台湾の旅行博に初出展してPRする」

 -訪日外国人客の誘客策や利用状況は。

 「中国語や英語、韓国語、タイ語のパンフレットを作った。これまで外国人の団体利用はゼロだったが、昨年10~12月には台湾客ツアーが4回訪れ、計100人が参加した。4月も台湾客や中国客のツアーがある」

 「将来は外国人客を収益の柱にしたいと考えているが、まだ数値目標を立てる段階にはない。案内標識に外国語を併記するなど、取り組むべき課題は多い。沿線の観光施設のにぎわいにもつなげていければ」

 -天浜線全体の15年度の利用はどうだったか。

 「2月末時点で前年同期比3%増だった。特に観光利用が伸びた。『スローライフ』をテーマに新装した都田駅のカフェや沿線ウオークイベントが好評だった。16年度も重点施策は観光だ。来年1月に気賀駅にオープン予定の『おんな城主 直虎』の大河ドラマ館を核に誘客に努めたい」(「中日新聞」より)

 台湾の人だけでなく、日本で生まれ育った人にも、歴史を感じさせる建物や暮らしぶりにもっと興味を持ってほしいもの。そんな関心のきっかけになるのが「北遠」。都市部に近く、文化財豊富な田舎です。

2016年2月28日 (日)

氷見からの手紙④―久根鉱山の鉱員たち

Kouin1

 氷見から届いた久根鉱山の古い写真の中には、鉱員たちと思われる1団を写した写真もあります。

 1枚は山の斜面に立ったり、座ったり。もう1枚は、坑口前でトロッコと一緒に撮影されていますので、久根鉱山の鉱員だとは思いますが、服装から考えると坑内に下がる鉱夫・坑夫と呼ばれた鉱山労働者たちとは違い、親方・管理者たちのようにも見えます。

 かつての久根鉱山では、他の炭鉱や鉱山と同じように、朝鮮半島や中国大陸などからも多くの人々が強制的に連れてこられて働かされていました。もちろん、坑内での事故も数多くあったと想像されます。

Kouin2

 戦争の時代に繁栄を見た北遠の鉱山で働いた人たち。彼らの多くの犠牲の下に今日の日本の平和と繁栄があるということを、決して忘れてはいけません。

 昭和45年(1970)に閉山された久根鉱山。今、鉱山で働いていた人たちの多くは久根を去り、全国に散らばっています。心のどこかで、久根を「第二の故郷」と感じているのではないでしょうか?

 富山県氷見市で暮らす坊さん姉妹も、彼らのご子孫。暖かくなったら、また、佐久間にいらしてください!

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2016年2月26日 (金)

氷見からの手紙②―鉱員住宅

Kune1

 氷見から届いた久根の古い写真の中には、数軒の住宅が写るものがありました。

 久根鉱山があったのは、佐久間町の片和瀬の山。鉱員住宅のイメージとは違い、茅葺き屋根の農村風景のように見えますが、住宅の密集具合から推測するに、山の中腹の階段状地形に建てられている家々のようです。

 右端に見える鳥居は、古河鉱業が祀った山神社か?塩澤家の氏神、唐渡神社か?

Kune2

 もう1枚の写真は、天竜川の対岸から撮影されたもの。久根鉱山の選鉱所などの施設の上には、最盛期には約2000人もが従事していたという鉱員たちの集合住宅が山の斜面一杯に広がり、網の目のようなに延びる道が見て取れます。

 ここで、ちょっとした疑問が・・・。鉱石採掘の坑道が地中に延びているとすると、斜面に建てられた住宅は穴だらけの上にあることになります。

 確かに、坑道は鉱脈を求めて縦に横に立体的に幾筋も張り巡らされているようです。しかも、海抜マイナス200メートルの深さまでと言いますので、採掘が終わった坑道が埋め戻されていないとすれば、現在もアリの巣のような状態。

 ・・・かも知れません。

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2016年2月25日 (木)

氷見からの手紙①―懐かしいあの写真

Koudoumae

 昨年末のこと、祖母たちが久根に生まれて育ったという富山県氷見市に住む坊さん姉妹からメールが入りました。「佐久間の古い写真を借りてきました。鉱山の写真です。斉藤さんに送るようにします。」

 さて、どんな写真が届くのか、楽しみにして待ちました。そして、複写した数枚分の写真データがCDに書き込まれて届きました。その中の1枚は、懐かしいあの写真。坑道口で撮影したと思われる5人の子どもたちの写真です。

Shashin7

 以前、紹介した写真は、私が坊さんが持参した古いアルバムを複写したもの。かなり破れが入り、保存状態は決して良いとは言えないものでしたが、今回の写真は状態が良いもの。

 裏面には「右より 巌(八)千代(四)美津代(十二)志な(四)艶子(七)」と子どもたちの名前と年齢が記され、「大正三年七月十五日撮影」とも書かれています。

Miura

 撮影したのは「Miura 遠江笠井町 三浦寫真舘」。「遠江笠井町」とは、もちろん、現在の浜松市東区笠井町のこと。明治24年(1891)に町制が施行され長上郡笠井村から笠井町に。久根まで出向いての撮影だったようです。

Kune3

 昨年(2015)11月の来訪時にも見せていただいた懐かしい写真に写っているのは、坊さんのお祖母さんたち。同じ写真が、何枚か残されているようです。

 撮影の大正3年(1914)は、第一次世界大戦が勃発した年。同年8月23日に、日本はドイツに対して宣戦を布告、久根の山は銅や硫化鉄などの産出により、隆盛を極めていました。

 穏やかで和やかなモノクロ写真に写る坑口からは、125年前の世界に流れた不穏な風が吹き出しているようです。

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2015年8月31日 (月)

戦中の労働で犠牲 中国人81人を慰霊

Minenosawa

 太平洋戦争中に旧峰之沢鉱山(現浜松市天竜区龍山町)で労働を強いられ犠牲となった中国人81人の50回目となる慰霊祭が30日、浜松市日中友好協会主催で妙蓮寺(同)で営まれた。

 峰之沢鉱山は実業家久原房之助の資本で1907(明治40)年に本格発掘が始まり69年に閉山した。

 この間の44年2月、中国各地から連行された13~70歳までの197人が働かされ、栄養失調などで81人が死亡した。

 式には30人が出席。友好協会の氏原章博会長が「家族、故郷を思いながら悲憤のうちに散華(さんげ)された。深く哀悼の意を表す」と述べた。

 中国大使館の潘昊参事官は「過去を直視し教訓とすることで、よりよい平和的な未来を実現できる」と述べた。全員で、日中友好の願いを込め焼香した。

 中国人労働者の犠牲は戦後判明し、75年、浜松、磐田の両日中友好協会などが寺の一角に慰霊碑を建立。毎年、慰霊している。(「中日新聞」より)

 北遠に残る産業遺産、峰之沢鉱山に隠されたもう1つの歴史です。時計のネジを巻き戻すわけにいきませんので、この歴史を日本の将来に活かして行くようにしたいものです。

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2015年6月13日 (土)

静岡新聞「北遠に眠る遺構」(5・完)久根鉱山 先人の汗と知恵、今も

Kune1

 青緑色にきらめく天竜川のほとり。かつて銅鉱の採掘で栄えた久根鉱山(浜松市天竜区佐久間町)がある。明治期からの集落発展の原動力だった。

 久根鉱山は1899年、足尾銅山(栃木県)の経営などで古河財閥を創始した古河市兵衛(32~1903年)が買収し、開発が進んだ。一帯に自前の病院や劇場、社宅などが整備された。

Kune2

 19年には会社が建設費を負担し、鉱員の子どもたちが通う小学校も新設。戦後間もなく入社し、約20年間坑内作業に汗を流した高木利一さん(83)=同町=は「鉱業が一つの町をつくり出した。飲み屋や旅館、芸者の置屋もあって最高ににぎやかだった」と鮮やかな記憶を語る。

 採鉱量は減り、70年に産出を終えた。最盛期は700人以上が働いていたが、現在は2人の職員のみ。排水基準を守るため、坑内から出る水の処理を続けている。

 採掘を終えてから約半世紀。繁栄の痕跡を隠すように緑が覆う中、坑口のそばには作業後の鉱員が体を洗った風呂場の跡が残る。敷地内には変電所建屋や選鉱場も形をとどめ、先人の汗と知恵と気概を、今に伝えている。(「静岡新聞」より)

 「北遠に眠る遺構」の最終回は、予想通り久根鉱山。浜松市に鉱山があったなんて、知らなかった人も多いのではないでしょうか?しかも、そんなに昔の話じゃあないのです。

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2015年6月 9日 (火)

静岡新聞「北遠に眠る遺構」(1)峰之沢鉱山 山の急斜面に「集落」

Kouzan1

 明治末期からの本格的な開発で発展した峰之沢鉱山(浜松市天竜区龍山町)。旧龍山村の一大産業で、600人以上が従事していた。鉱員が暮らした4階建て12室の鉄筋コンクリート製アパートが現存する。

 1900年代、経営不振に陥っていた峰之沢鉱山は、日立製作所の礎を築いた鉱山王久原房之助(1869~1965年)が多額の資本金を投入し、生まれ変わった。最盛期の50年代後半になると、村の人口は現在の約10倍の7千人超。山の急斜面に“鉱山集落”が形成された。

Kozan2

 69年に閉山を迎え、多くの鉱員と家族は村を去ったが、2棟のアパートのみ取り壊されず残った。現在は草木に覆われ、周囲を茶園に囲まれているため人目には付かない。

 54年から閉山まで鉱山で働いていた藤下今朝男さん(78)=同町=は「あの頃は最先端の高層住宅で目を引いた」と懐かしむ。当時の家屋は木造平屋建てがほとんど。時代を先取る建造物だった。(「静岡新聞」より)

 「静岡新聞」で始まった連載企画です。北遠の産業遺産、近代化遺産に関心を持ってください。

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2015年2月 8日 (日)

山の斜面に残る峰之沢鉱山アパートの遺構

Apart

 久しぶりに訪れた峰之沢鉱山の遺構―かつて鉱山で働いた従業員の住まいとなったアパート跡です。

 北遠の近代化を支えた鉱山は、久根鉱山や名合支山などもあり、それぞれに鉱員住宅跡は残っていますが、鉄筋コンクリート製アパートがあったのは峰之沢だけ。

 冬枯れの草に埋もれていましたので良い写真は撮れませんでしたが、アパートが建てられた場所は決して平らではありません。3階建てのこのアパートは、傾斜した面に建てられているのです。

 山の斜面のアパートは、階段状の建築。2棟合わせて24戸のアパートは、狭い山の斜面という悪条件の敷地に階段状に建てられた工夫の産物だったのです。

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2015年2月 6日 (金)

峰之沢鉱山のインクライン遺構で見つけた日本碍子製碍子

Incline2

 古い磁器製碍子(がいし)が散らばる峰之沢鉱山のインクライン遺構で目に留まった碍子には、香蘭社製のものだけではなく、○と△を組み合わせたような記号の焼き付けられたものもありました。

 このマークを調べてみたところ、現在の日本ガイシ、当時の日本碍子製のものと分かりました。

 日本碍子とは大正8年(1919)に、日本陶器(現ノリタケカンパニー)から分離し設立された、社名の通り、碍子の専門メーカーです。

Nihongaishi

 歴史を遡れば、日本に碍子を持ち帰った最初の人物は、慶応3年(1867)オランダ留学で電信技術を学んだ榎本武揚だったとのこと。この時には実用化はされませんでしたが、明治15年(1882)に東京・銀座に日本初の電灯(アーク灯)が点されたのは、よく知られるところです。

 日本の近代化に大きく貢献した電気ですが、明治40年(1907)久原鉱業(後の日本鉱業)によって買収され、本格的な採掘が始まった峰之沢鉱山でも水力による自家用発電が行われていました。

 その電気を施設全体に届ける電線を張る時に必要不可欠だった絶縁器具が碍子。昭和44年(1969)に閉山され、その役割を終えましたが、今もインクライン遺構近くの山の斜面に散乱して残っています。

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