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2017年3月18日 (土)

天竜の石鳥居を追って⑨―二俣諏訪神社

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 今回の「天竜の石鳥居を追って」のラストは、二俣諏訪神社です。旧天竜市の中心でもあった二俣の氏神である神社の鳥居としては、意外とも感じる地味な神明鳥居。「明治三十三年四月三日建之」ですが、おそらくそれ以前には丸太を組んだ素木(しらき)鳥居があったと思われますので、その素朴とも言える形を踏襲したのかも知れません。

 この石鳥居を寄付したのは「報徳二俣社」。大日本報徳社による報徳思想は、早くから北遠に普及浸透し、農村復興が推し進められました。

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 しかし、勤勉・倹約を勧めた報徳思想はやがて国家神道と結び付き、政府に利用される軍国主義確立に利用されて来た側面があるのも事実。

 船明(ふなぎら)と二俣の諏訪神社鳥居に「報徳」の文字が刻まれているのには、そんな時代背景があるのかも知れません。

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新宮池から春埜山へ⑦―狼型の狛犬

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 春埜山大光寺で有名なのは、春埜杉ともう1つ、狼型の狛犬。神社では普通に見られる狛犬も、お寺では滅多に見られません。大光寺に狼型の狛犬があるのは、守護神である太白坊大権現の眷属が狼(山犬)だったとの言い伝えによるもの。

 しかし、明治時代の銅版画「春埜山之圖」には描かれていません。狛犬の台座には「大正元年蒞改元記念 爲國家安泰獻納者也」と刻まれていますので、西暦1912年の建立。それより前には、なかったことになります。

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 奉納者は「駿河國安倍郡長田村講中」とあり、現在の静岡駿河区の安倍川の西側。このことから、春埜山への信仰が西ではなく、東に広がっていたことが分かります。

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 そして、気になる石材ですが、これまであまり見ることがなかった緑色の石。おそらく伊豆石の一種、安山岩質の火砕岩だとは思いますが、かなり変質作用を受けたものかも知れません。

 向かって左が口を開いた阿形で、右が口を閉じた吽形。よく見る狛犬たちの並びとは逆なのも不思議。あばらが浮き出た体ですが、眼光鋭く睨み付けています。一体、この狛犬はどこの誰が造ったのでしょうか?

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2017年3月17日 (金)

新宮池から春埜山へ⑥―春埜杉

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 春埜山大光寺に立ち寄ったら、どうしても見ていただきたいのが県指定天然記念物であり「新・浜松の自然100選」にも選定されている巨樹「春埜杉」。もちろん銅版画「春埜山之圖」にも描かれ、当時から力強く枝を伸ばした力強い姿が知られ、「春埜杉」の名で呼ばれていたことも分かります。

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 現在では境内から眺めるしかありませんが、かつての参道は春埜杉の脇を回るように抜けていたため、大光寺に参拝する誰もが杉を見上げ、その幹に触れ、自然の生命力を感じることができたと思います。

 この杉を植えたのは大光寺開祖の行基であるとの言い伝えの信憑性はともかく、自生ではなく植樹された杉であるのは間違いないかも知れません。

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 ただ、気になるのは、最近「春埜杉」の表記が「春野杉」あるいは「春野スギ」に変えられていること。「春埜山」の表記はそのままですが、天然記念物の登録名は「春野スギ」とはどういうことでしょう?

 春野町の名は、犬居町と熊切村とが合併した時、「春埜山」に因んで付けられたもの。ただし、その時に犬居町への配慮から「埜」を「野」へと変えたと聞いています。固有名詞であるのも関わらず表記を変え、しかも「杉」の漢字を植物名だからと「スギ」とカタカナ表記にしてしまったのには悲しさを覚えます。

 だったら、「浜松」は「浜マツ」とすべきだ!

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天竜の石鳥居を追って⑧―椎ヶ脇神社のもう1つの鳥居

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 以前、「西鹿島・椎ヶ脇神社に立つ2つの鳥居」で紹介した通り、東の方向にもう1基の石鳥居があります。天竜川が見下ろせる中程に建てられ、かつてあった川岸の渡船場から石段を登る参拝客を迎えています。

 この石鳥居は神明鳥居の貫の断面が長方形で、靖国鳥居と呼ばれている形。「明治四十二年八月建之」と刻まれていますので、社殿南の大正10年(1921)の鳥居よりも12年前の建立です。

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 鳥居の足元には、これも以前「『池田邑』『舟越一色村』―椎ヶ脇神社に残る渡船役の村名」で紹介した燈籠の残骸があります。

 「施主池田邑中」は「寛政十戊午年」、「當國敷智郡舟越一色村 渡舟○○」は「文化十四丑○○」。それぞれ、西暦1798年と1817年の建立。江戸時代の渡船役に従事していた磐田市池田と中区船越町から、渡船の安全を願っての奉納です。

 明治、大正の石鳥居はトラックに乗せて運ばれたものかも知れませんが、江戸時代建立の石鳥居は船に乗せて運ばれたものと思われます。

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2017年3月16日 (木)

天竜の石鳥居を追って⑦―椎ヶ脇神社

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 天竜川の治水の神と言えば、諏訪神社よりも西鹿島に祀られている椎ヶ脇神社。「鹿島」の地名は、船を繋ぎ止める狭い水路をさす古代語「枷間(かせま)」に由来するとのこと。北遠の山地を蛇行しながら流れ下って来た天竜川が平地に出るところで、北鹿島とを結ぶ渡船場があり、筏流しの中継地でもあった場所です。

 川運の重要な地点に鎮座するかつての式内社・郷社だった椎ヶ脇神社の鳥居は2基あり、1基は南に面した杉に囲まれた社殿南にあり、もう1基は天竜川を見下ろす東の中段にあります。

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 社殿南の鳥居は、「大正十年八月建之」の明神鳥居。西暦1921年建立ですから、まだ100年は経っていません。

 江戸時代の年号が刻まれているのは社殿前の2基の石燈籠。「文化五戊辰」「文化十二乙亥」の文字が読み取れます。西暦で言えば文化5年は1808年。同12年は1815年で、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した大老・井伊直弼が生まれた年です。

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新宮池から春埜山へ⑤―大鳥居のある寺

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 春埜山山頂を離れて道を進むと、車は再び春野町花島へと入り、さらに少し行くと正面に銅で覆われた大鳥居が見えて来ます。鳥居の額には「春埜山」と山号のみが記されていますが、大光寺は曹洞宗のお寺ですから、鳥居が立つ寺とは実に不思議な景色です。

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 大光寺の本尊は太梵天、帝釈天、閻魔尊天ですが、その守護神は太白坊大権現と言いますから、元々は神仏習合の修験道に由来した寺院であることが分かります。

 しかし、明治時代に作られた銅版画「春埜山之圖」に鳥居は描かれていません。現在は西から鳥居をくぐるのですが、川根道、秋葉道、大日道のいずれも春埜杉の脇を抜け、南から冠木門(かぶきもん)をくぐり境内に上がるように描かれています。

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 鳥居脇には「平成七年四月吉日」の石碑も建てられていましたので、鳥居は古くからあったものではないようです。

 江戸時代以前には普通に見られた風景なのかも知れませんが、堂々と鳥居をくぐって入る寺は多くはありません。豊川稲荷と妙厳寺のように、1つの境内に神社とお寺が併存しているケースはありますが・・・。

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2017年3月15日 (水)

新宮池から春埜山へ④―春埜山山頂の三角点

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 和泉平から砂川(いさわが)、大時を経て春埜山大光寺へと向かう坂道の途中から、立ち寄ったばかりの砂川の集落が見えました。

 大光寺へと向かう道は舗装されてはいるのですが、あちらこちらで路面の陥没や道路脇の崩土が見られ、路上には避けきれないほどの落石が散らばっています。

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 くねくねと続く道路は浜松市から一旦森町を通り、春埜山山頂があるのは森町。東海自然歩道の標識で車を止めて、ほんの少しだけ歩くと山頂を示す二等三角点があります。国土地理院の地図によれば春埜山の標高は883.4メートル。

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 秋葉山は秋葉神社上社社殿裏の最高点が神域ですから三角点は設置されていませんが、BPS観測により885メートルとされていますので、ほぼ同じ高さです。大光寺があるのは、さらに東。標高872メートルですから、866メートルの秋葉神社上社よりも高い位置になります。

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天竜の石鳥居を追って⑥―大園諏訪神社

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 大園諏訪神社は諏訪神社に間違いないのですが、なぜか、諏訪神社の「梶の葉」紋でなく秋葉寺や秋葉神社で使われていた「剣花菱」が掲げられている珍しい神社です。

 石鳥居の形は、少しだけ柱のころび(傾斜)が見られますが、簡素な神明鳥居で「明治四十三年一月建之」の建立。江戸時代のものではありませんが、明治43年(1910)と言えば、もう107年前ということになります。

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 「區内安全」と刻まれた石燈籠は「大正四年八月建之」。大正4年(1915)はもちろん大正天皇の即位式の年ですが、即位式があったのは11月。3ヶ月ほど早いのはどうしてでしょう?

 それにしても、天竜川沿いには諏訪神社が多く点在しています。それには諏訪神社の祭神である建御名方命(たけみなかたのかみ)が、洪水を防ぐ治水の神と考えられていたからではないでしょうか?

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2017年3月14日 (火)

新宮池から春埜山へ③―砂川の茶園とカゴノキ

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 次に車を停めたのは、砂川(いさがわ)の茶園が見下ろせる公民館。曹洞宗の寺、高繁寺と隣り合わせに建てられている砂川公民館の横に旧春野町の「名木百選」に選定されているカゴノキがあります。

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 カゴノキの名前は「鹿子の木」の意味。樹皮に現れる斑点が、鹿の子模様に似ているところからカゴノキと名付けられたとのことで、砂川のカゴノキの幹にも、樹皮が剥がれたような斑点が。

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 また、幹の中程に大きな穴が開き、その空洞を通して向こうの景色が透けて見えています。

 砂川の茶園風景は、私が勝手に選んだ「北遠の茶園10景」の1つ。斜面の等高線に平行に、幾重にも植えられた茶畝は、私が大好きな北遠の風景です。

 *「北遠の茶園10景」を冊子スタイルにまとめてみました。自由にダウンロードしてください。「北遠の茶園10景」.pdfをダウンロード

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天竜の石鳥居を追って⑤―船明諏訪神社

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 船明(ふなぎら)諏訪神社の石鳥居の形は明神鳥居。船明諏訪神社が現在地に移されたのは、昭和53年(1978)5月。船明ダム完成の翌年のことです。

 だったら、石鳥居の建立もその時かも知れないとも思ったのですが、刻まれた文字は「報徳三十年紀念」と読めます。「報徳」が、明治8年(1875)設立の大日本報徳社を意味するとすれば、「三十年紀念」は同38年(1905)になります。

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 「天竜の石鳥居を追って④」では、「明治・大正時代は政府が国家神道の浸透を図るため、集落の祭祀を奨励し、鳥居の造立も盛んだった」と紹介しましたが、明治後期から大正になれば、トラックによる陸運も盛んになって来た時代。各地の神社の鳥居が木製から石製に変えられたのには、そんな要因があったのかも知れません。

 しかし、船明は天竜川に沿った地域。この石鳥居は川船で運ばれた可能性もあります。

 社殿の前に立つ石燈籠には「正徳元年」の文字が刻まれています。正徳元年は西暦1711年。306年前の石燈籠が今も残っています。

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天竜川・そまびとの会

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