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2017年1月19日 (木)

豊川稲荷に初詣⑥―酉の年

 さて、お帰り前には門前町「豊川いなり表参道」での「酉」探し。土産物には狐ゆかりの品が多い商店街ですが、年明け早々のこの時期には干支の商品も並んでいました。

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Kanban3 置物だったり、土鈴だったりとその種類はいろいろですが、一番気になったのは「金鳥かとりせんこう」のホーロー看板。美空ひばりが缶入りの香取線香をにこやかに紹介しています。

 「金鳥の夏、日本の夏」のキャッチコピーで人気となった美空ひばりのCMがテレビで流されるようになったのは昭和42年(1967)のこと。考えてみれば、美空ひばりの「ひばり」、雲雀(ヒバリ)もかつては身近に見ることができた野鳥でした。

 それが近頃ではレトロな鳥となってしまい、滅多に声も聴けず姿も見られなくなってしまいました。

 いつか、干支の動物たちもゴジラやポケモンに置き換えられるようになってしまうかも知れません。現代の十二支を集めるとしたら、何になるんでしょうか??

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2017年1月18日 (水)

豊川稲荷に初詣⑤―なつかし青春商店街

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 豊川稲荷の門前町「豊川いなり表参道」は、「なつかし青春商店街」として人気を集めています。

 実は、私にとっても豊川は懐かしい町。私の父は南支戦線から帰還して豊川海軍工廠に勤め、昭和20年(1945)8月7日の空襲に遭って命からがら下地町の実家まで逃げ帰った経験もあり、子どもの頃には豊川にしばしば出かけていました。

 今回は海軍工廠跡を訪ねることはできませんでしたが、昭和のまま時間が停止してしまったかのような商店街は、亡き父の面影と重なります。

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 店の外壁には、レトロなホーロー看板も。時代に取り残された街並みが、昭和を懐かしむレトロブームよって蘇り、若い世代にも好評なようです。

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2016年12月 4日 (日)

半田・常滑を訪ねる⑫―やきもの散歩道

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 常滑の瀧田家を出た後には、雨上がりの「やきもの散歩道」を歩きました。

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 常滑の町は細く曲がりくねった坂道が多く、土管などの陶器の廃材を利用した装飾を兼ねた滑り止めや土留めが独特の雰囲気を醸し出している人気のウォーキングスポット。そんな町を巡る「やきもの散歩道」を歩けば、陶器づくりの歴史を感じさせるレンガ造りの煙突や窯、黒塀の工場などと、次々と出会います。

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 常滑で陶器づくりが盛んになったのには、いくつかの好条件の重なりがありました。先ずは常滑層群から陶芸に相応しい粘土が採取できたこと。また、周辺には窯で火を焚く薪があったことも大切な条件。

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 さらに、出来上がった陶器を運搬する手段として、伊勢湾に面した港に船を着けることができたことも忘れてはいけない要因です。逆に言えば、船を着けることができたとしても運搬するものがなければ、瀧田家のように廻船業で繫栄することなどあり得ません。

Cafe

 酢・味噌・醤油や酒類を運び出した半田の旧中埜半六邸でも確認したこれらの条件は、北遠の良材を運び出すため、天竜川の河口に港が出来た掛塚と大変よく似ています。常滑で見た赤レンガの窯跡が、掛塚では伊豆石の蔵や石塀に代わるだけ。

 赤レンガの窯の前にテーブルと椅子を並べれば、こんなステキなカフェだって出来てしまします。

 レトロなホーロー看板も、「やきもの散歩道」の雰囲気にピッタリ。

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 今回の見学で学んだことを「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」の仲間たちと話し合い、旧津倉家住宅の活用に活かして行きたいとの思いを一層強く持つことができました。

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2016年11月24日 (木)

北遠の「酉」を探せ!―金鳥・キンチョールの看板

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 山東の光明寺に登る坂の近くにあるレトロなホーロー看板。すでに紹介済みですが、酉年を前に再登場です。

 「金鳥」「KINCHO」で知られる会社の正式な名は大日本除虫菊株式会社。創業は明治18年(1885)の老舗です。創業者である上山英一郎氏が、司馬遷の史記に出てくる「鶏口となるも牛後となるなかれ」という格言から採用したのが、すっかりお馴染みとなったこの鶏マーク。

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 「明治18年ってもしかしたら・・・?」と思って調べてみたところ、ズバリ正解!酉年でした! 

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2016年9月10日 (土)

水窪で見かけたお酒のホーロー看板

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 水窪で見かけたレトロなホーロー看板―いずれも縦長で右から「キリンビール 麒麟麥酒株式會社」「清酒 日本勢 中部醸造」「清酒優等 磯TRON 9-837B.gif司 イソノツカサ 磯貝酒造醸」の3枚です。

 「キリンビール」と「日本勢」はすでに紹介済ですが、「磯TRON 9-837B.gif司」は初登場。かつて酒蔵で栄えた愛知県碧南市で明治30年(1897)創業したみりん醸造の会社・磯貝酒造醸が、酒を造り始めたのは昭和30年頃から。この看板も、その頃のものと思われますが、残念ながら現在は休業。

 また、「キリンビール」の看板は、以前、周智郡森町三倉で見かけたものと同じデザインでしたが、龍山で見かけた「KIRIN BEER」とは違います。

 「日本勢」は、「天竜の酒 樹里」で知られた「中部醸造株式会社」の看板。龍山には白色と黄色の2枚がありましたが、水窪のここには黄色の看板だけが残っていました。

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2016年4月 5日 (火)

「サランラップ」のレトロ看板

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 「サランラップ」の看板はかなり劣化していましたので、ホーローではないのかも知れません。「明日もおいしく」のコピーとサランラップの写真が。そして、右下には「旭ダウ」と社名が入っています。

 現在、「サランラップ」と言えば旭化成ケミカルズが製造し、旭化成ホームプロダクツが販売しているのですが、昭和35年(1960)の発売当時は、同27年(1952)に設立された、旭化成と米国ダウ・ケミカルとの合弁会社「旭ダウ」によって売り出されました。

 「サランラップ」の「サラン」とは、もともと銃弾や火薬などを湿気から守るために開発されたポリ塩化ビニリデンフィルムを、食品用に使うことを思いついた2人の技術者の妻、サラ (Sarah) とアン (Ann)の名を合わせたものとのことです。

2016年3月17日 (木)

二川宿本陣近く「マルタ 西駒屋」のホーロー看板

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 お隣、愛知県豊橋市の二川宿本陣近くで、「マルタ 西駒屋」のホーロー看板を見かけました。

 江戸時代から続く商家であった田村家の屋号が「駒屋」。その後、東の「東駒屋」と、西の「西駒屋」という分家を出し、味噌やたまり醤油の醸造業を営むようになり、屋号は田村の「タ」を取り「○タ(マルタ)」に。

 味噌溜とは、味噌の醸造過程でできる液体で、「溜まり醤油」と呼ばれて醤油のように使われました。その主産地が愛知県。この看板が掲げられている家が、まさに「西駒屋」です。

2016年3月16日 (水)

レトロ看板「マルカ完全飼料」

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 浜松市西区で見かけた「○カ(マルカ)完全飼料」は、河田飼料のホーロー看板。昭和55年(1980)に、アミノ飼料工業と合併し伊藤忠飼料となりました。

 これまでに「協同飼料」「マルハ完全飼料」「ニップン飼料」「くみあい配合飼料」などのホーロー看板を紹介して来ましたが、飼料とは家畜、家禽などの餌のこと。食肉増産のニーズに応えるため、それまでの単一穀物中心の餌に対し、対象の動物によって適正な割合に配合した餌のこと。

 私が子どもの頃に飼っていた豚、ヤギ、鶏などには、大鍋でサツマイモを煮たり、山で草を食べさせて飼育していました。酪農を専業とする農家では、「完全飼料」を使っていたのだと思います。

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 ●黄色いホーロー看板は「完全配合飼料 ニップン飼料」のものです・・・
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2016年1月31日 (日)

「天竜ハム」の看板に描かれた天龍橋と帆掛け船

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  二俣のクローバー商店街で「天竜ハム」の看板を掲げている吉野家精肉店の創業は昭和9年(1931)。「天竜ハム」のロゴの前に描かれた商標の図案が気になりました。

 赤い丸の中に描かれているのは、吊橋と帆掛け船。吊橋は現在の鹿島橋でしょうか?

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  鹿島橋が完成したのは昭和12年(1937)。吉野家精肉店の創業はその前です。この商標が創業当時から使われていたとすれば、この橋は明治44年(1911)竣工の「天龍橋」ということになります。そして、橋の下に描かれた帆掛け船は、久根や峰之沢の鉱石船。

 ・・・ということになります。確認してはありませんが・・・。

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2015年12月16日 (水)

横須賀・松本医院のJOCKラジオ聴取章

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 「遠州横須賀街道ちっちゃな文化展」で訪れた掛川市横須賀地区の松本医院の洋風建築は、「静岡県のすごい産業遺産」にも選ばれています。そんな松本医院の玄関先にあった丸くて青いホーローのマークは、JOCKの聴取章です。

Jock

 かつて、ラジオ放送は契約しなければ聴くことができませんでした。JOCKは、昭和元年(1926)7月に放送を開始した日本放送協会の名古屋中央放送局のコールサイン。「1519」は契約番号でしょうか?

 現在のNHKの受信料を払うと、玄関先にNHK」と書かれたステッカーを貼るように言われますが、あれと同じです。それにしても、レトロ感たっぷりな聴取章。

 ラジオの聴取料制度は、昭和43年(1968)4月に廃止されています。

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天竜川・そまびとの会

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