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2017年3月13日 (月)

新宮池から春埜山へ②―「國家彌榮」の鳥居

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 新宮池のそばに祀られているのは新宮神社。新宮神社社殿に登る石段の前には、石鳥居が建てられています。

 普通に見られる明神鳥居の建立されたのは「大正六年八月建之」と刻まれていますので、西暦1917年。日本も参戦した第一次世界大戦の真っ最中です。

Torii2

 「大正六年八月建之」の上には「國家彌榮」の文字も。「國家彌榮(国家弥栄)」の「弥栄(いやさか)」とは「ますます栄える」という意味です。

 この石段では4月に、新入学の児童が石段を登り、地域の人たちが祝う「勧学祭」が催されると聞いていますが、かつては新宮神社でも他の地域同様に出征兵士を送ったのでしょう。神社や神道が軍国主義に利用され、「弥栄」も国粋主義的な「万歳(バンザイ)」の意味で使われました。

 「國家彌榮」は決して悪い言葉ではありませんが、私たちの向かう方向は「世界弥栄」であるべき、と感じました。

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2017年3月 7日 (火)

渡ヶ島諏訪神社を訪ねて③―江戸時代に建立された鳥居

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 以前「船で運ばれた石鳥居―渡ヶ島諏訪神社」で紹介した通り、渡ヶ島諏訪神社の石鳥居は江戸時代に建立されたもの。「内山真龍資料館」で見た「鳥居の図」には、諏訪神社の鳥居の下絵が描かれ、その鳥居は現在も残っています。

Torii

 注文先は三河国岡崎裏町石工七佐衛門でした。手紙のやり取りを見ると、進行が大分遅れたようです。値段は三十両でした。途中で何回か内金を請求されています。運送には舟を使われました。岡崎から矢作川をくだり、河口平坂から志摩国鳥羽港を出帆した伊豆国孝七所有の舟で遠江国掛塚迄運ばれ、そこから川船に積み替え渡ケ島村迄運んだようです。

Keiou

 石の鳥居には「慶應三年卯三月建之」の文字が刻まれ、慶応3年は、西暦1867年。間違いなく、江戸時代に建立された鳥居であり、「岡崎裏町」現在の岡崎市花崗(みかげ)町で造られ、掛塚湊を経由して運ばれた笠木と島木に反りがある、見た目にも美しい明神鳥居です。

 木製の古い鳥居は朽ちてしまい、金銅の鳥居は戦時中の金属供出により失われましたが、石鳥居は今でも残っています。江戸時代に建立された石鳥居が、北遠の他所にあるのかについては調べてみたことがありませんでしたので、今後、その点に注意しながら神社を回ってみようと考えています。

 そして、その石鳥居がどこで造られ、どうやって運ばれたのかについても調べてみたいと思います。

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2017年3月 6日 (月)

渡ヶ島諏訪神社を訪ねて②―郷社

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 渡ヶ島諏訪神社の鳥居横にある石柱には「郷社諏訪神社」と刻まれています。

 「郷社(ごうしゃ)」とは、明治時代に定められた近代社格制度(きんだいしゃかくせいど)として神社を等級化した社格名。官社の下に位置付けられた諸社(民社)に含まれ、府県社・郷社・村社に分けられました。

 戦後、社格制度は廃止され社号標の「村社」などの文字はセメントなどで埋められているものを見かけることも多いのですが、渡ヶ島諏訪神社でははっきりと「郷社」の文字が読み取れます。

 天竜川右岸のこの決して大きいとは言えない集落の神社が郷社に列せられたのは不思議な感じもしますが、江戸時代には朱符高拾五石だったと言いますから、郷社の社格もうなずけます。

 渡ヶ島は天竜川に面した集落であり、船明(ふなぎら)までバラで流されて来た丸太は、綱場で一旦水揚げされ筏に組まれ、諏訪神社のすぐ前を下って行ったはず。この先、鹿島から河口の掛塚へと下る運材の道の要所であった渡ヶ島は、江戸幕府の直轄領、幕府領として統治された時代が長かったことも、渡ヶ島の諏訪神社が郷社とされた背景にあったのかも知れません。

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2017年2月21日 (火)

上野六所神社を訪ねて②―大正4年の鳥居と燈籠

Syaden

 県道9号線「上野(かみの)」のバス停の北にある長くて急な石段は、六所神社への参道。途中にある石鳥居には「大正四年二月建之」と刻んであります。石段を登りつめた先の境内にある社殿前の石燈籠には「大正四年十一月設之」。同じ大正4年(1915)ですが、2月と11月では9ヶ月のズレがあります。

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 大正4年当時に日本は、第一次世界大戦(日独戦争)の真っ最中。この頃、鳥居や燈籠が神社に奉納されたのは、大正天皇の即位式を祝う「御大典紀念」と日清・日露の戦争を経て、皇国(=神国)日本の幻想に日本中が酔い、軍国主義へと邁進していた時代背景を示していると思われます。

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 かつてはコミュニティーのシンボル、地域祭事の会場であったはずの神社が政治的に利用されたあの時代。素朴な神への信仰が意図的に歪められ、戦争に駆り出された人々を送る国威発揚の場として、哀しいバンザイが繰り返された神社に立てば、冷たい春風に乗って「二度と繰り返すな!」との力強く静かな声が聴こえて来るようでした。

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2017年2月19日 (日)

古い絵葉書「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」④―土器

石器時代出土遺物

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●音も高く名も高き遠州天龍川沿岸の半場遺蹟より出土せる土器破片の樣々にして浮文のものあり一見して當時の技巧のあと明確にうかがはれ研究の深み行くにつれ興味横溢せり(愛郷二葉會發行)

●遠州淺間山麓の天龍河によつてつきんとするところ半場遺蹟あり上圖は當遺蹟より出土せる繩文土器の破片にして底部に葉文のものあり殊に上より二段目右より二番目の如く殊更に朱文の付したるものもありこれによりてこの地に於ける先住民族の大体を知るを得べし(愛郷二葉會發行)

 残りのこの2枚で「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」はすべて。以前は、平沢の「さくま郷土遺産保存館」で展示されていた出土品の一部は浜松市博物館に移転収蔵されていますが、その他の出土物については佐久間協働センターに保管され、展示再開の時期は未定。

 近い将来、再び日の目を見ることを期待しています。

 【関連記事】古い絵葉書「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」①―考古學資料
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2017年2月18日 (土)

古い絵葉書「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」③―石器

石器時代遺物

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●北遠最北半場遺蹟より出土せる石器時代の遺物なり下より二段大型の石臼を初め他はいづれも稀に見る珍品の數々にしてあまねく天下に公表して一般の研究の資とせんとするものである(愛郷二葉會發行)

●天龍川の淸流にのぞめる北遠半場遺蹟より新たに出土せる石器數百箇中の一部にして一見大古の面影を忍ぶに足るものなり
寫真下段右より
 四本 石劔 磨製
 他は磨製打製局部磨製の石斧なり
石材
 全部當地産出の緑泥片岩(愛郷二葉會發行)

●遠州最北天龍川にのぞめる半場遺蹟より出土せる遺物の一部なり
1 石 劔
2 石 棒
3 石 槍
4 石 斧
5 石棒下頭
6 乳 棒
7 石 錘
8 定角式磨石斧
9 石包丁
10 石 斧
11 石 鏃
12 石 匙
13 石 錘
14 石 冠
15 石槍破片
16 石 匙
17 石 斧
18 石 斧(愛郷二葉會發行)

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 半場遺跡から出土したのは、配石遺構と石器、土器。絵葉書に紹介されている出土品はいずれも「石器時代遺物」と題されていますが、今回紹介する3枚が石器の写真です。

 右の写真は絵葉書に押してあったスタンプ石器時代遺物見學記念」とあります。

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2017年2月17日 (金)

犬居城址を訪ねて⑧―物見曲輪からの眺望と役行者像

Tenbodai

 犬居城址の物見曲輪とされる場所がこの山のピークに当たり、しかも南はかつての気田川が削った急斜面となっていますので、ここに櫓を築いて見張りを立てれば、麓の動きは一目瞭然です。

Cyobo

 犬居城址は県指定文化財ですが、そこには山城らしからぬコンクリート製の展望台が築かれています。せっかくですから展望台に登ってみると眺望はさらに広がり、足元には天竜高校春野校舎、春野ふれあい公園、その先には蛇行して流れる気田川や新旧の秋葉橋が見えます。

Gyojazo

 2月22日(水)、25日(土)、「山城100名城めぐり」参加者たちも展望台に登れば、ここに山城が築かれた理由は納得していただけるはず。

 天正4年(1576)に落城した犬居城はその後放棄され、物見曲輪にある役行者像は、宝暦2年(1753)に建立されたとのこと。犬居城址が残る山は、行者山と呼ばれています。

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古い絵葉書「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」②―昭和八年五月十三日出土

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先住民族居住跡敷石帯の一部、天龍川沿岸北遠半場遺蹟より出土せる敷石帯の一部にして長さ七◦八米 幅二米あり殘部は鐵道プラットホーム豫定地中に殘存せらるるものと推定せらる
概況
石質  花崗岩
石形  大石 二個
   長さ八十五糎
   幅 四十五糎
大部分は徑二十五糎乃至三十糎の圓形石である
昭和八年五月十三日出土(愛郷二葉會發行)

 半場遺跡が発見されたのは、絵葉書の解説にあるように、昭和8年(1933)、現在のJR飯田線の前身となる三信鉄道「中部天竜」駅の工事中のこと。丸い石を敷き詰めた遺構が見つかったのをきっかけに、石器や土器が次々と発見されました。

 この配石遺構については、住宅の敷石跡とも考えられていましたが、柱の礎石に当たると思われる石が見当たらないことから、山や岩を御神体とした原始的な神社遺構の可能性が高いと考えられるに到っています。

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石器時代出土遺物、遠州も將につきんとし三信の山河眼前にせまる天龍沿岸半場遺跡より初めて出土せる遺物なり、我國最古の土器類より古墳時代の土器類にして當時の代表的貴重品たり、一見當時の技巧のあとも知らるべし

向つて右より縄文土器、無文、一、二、他は古墳時代のもの(愛郷二葉會發行)

 出土した石器類が新石器時代のものだったとしても、縄文時代、弥生時代、古墳時代の土器も出土しているとなれば、かなり長い間、天竜川の流路に近い場所に、人々の暮らしの場があったことになります。

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2017年2月16日 (木)

犬居城址を訪ねて⑦―二の曲輪、本曲輪

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 城内道を進むと二の曲輪、本曲輪と考えられている平場が現れますが、それらは決して広い場所ではありません。天野氏の居館があったのは犬居城入口付近の茶園辺りと考えられ、山城にあったのは、立て籠るための避難所程度の施設。

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 ただし、犬居城に籠れば敵の動きは一目瞭然。もしも、気田川の流れを越して攻め上がって来ようとしても、崩れやすい急峻な斜面上から攻撃を仕掛ければ容易に城内まで入られる恐れはありません。

 幸い城の裏側には水の湧く場所もあり、兵糧攻めにでも遭わない限り犬居城は安泰。

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 ・・・と思ったのですが、歴史が語るところによれば、確かに1度目の家康との戦いは天野氏の思った通りの展開となり、増水した気田川に行く手を阻まれた家康軍は兵糧が尽きて撤退のですが、天正4年(1576)の2度目の犬居攻めではすでに二俣城も家康軍の手に落ち、天野氏は北へと連なる山稜を伝って逃げています。

 もちろん、行き当たりばったりの逃走はなかったはず。逃走ルートまで考え、ここに構えたのが犬居城だったのです。

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古い絵葉書「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」①―考古學資料

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 次に紹介する古い絵葉書は「北部遠州出土 石器時代遺蹟遺物繪葉書」と題する「靜岡懸磐田郡佐久間村半場 愛郷二葉會發行」の8枚組。「考古學資料」とも記された貴重な写真が印刷されています。

 半場遺跡は、1933年(昭和8年5月)に三信鉄道(飯田線の前身)中部天竜駅建設工事の中で発見されました。
 出土した土器・石器・敷石住居祉・石だたみ・井戸状敷石・土偶、埋葬墓地などから、縄文時代中期初頭から弥生時代後期の長期間にわたり、ここに人々の生活が営まれていたことがわかりました。
 そして土器は、関東系、中部山地系、東海系のものから、遠く東北系や関西系のものが複雑に混り合っています。
 これは、この地域が中部山地圈と東海地域圈の境界に位置し、矢作川、豊川、天竜川を介して両地域間の交流点にあること、そしてそのルートは遠く東北地方や関西方面にまで通じていたことを物語っています。佐久間町教育委員会

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 これは、現在JR飯田線「中部天竜」駅ホームに建てられた看板の解説文。半場遺跡は、三信鉄道工事の過程で発見されました。

 最初に紹介する1枚には「石器時代出土遺物 流れも清き天龍沿岸住む人の心も清き遠州半場遺蹟全望にして今回遺蹟の出土せるは四人の立てる一帯の地域なりこの地點は今三信鐵道敷設工事中なれども近き将来に於ては同鐵道主要驛たり」の解説文が添えられています。

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