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2014年4月 3日 (木)

ふるさとものがたり天竜「月部落の由来」

Tsukimura 竜川の里、月部落開拓の祖は、鈴木左京之進といわれている。左京之進の祖先は、そのむかし、源義経の家来であったという。
 左京之進は南北朝時代、南朝方の楠木氏につかえたが、当時の世の中は、ただただ戦いに明けくれる毎日であった。こうした中で左京之進は、残る人生を人間らしく生きようとしたのであろうか。侍の生活を振りすてて、七人の供と一緒に、月部落開拓の祖となった。
 左京之進は七人の供を引き連れて、天竜川沿いの山の斜面を、一段一段開拓して、農耕を始めていった。
 今まで手にしていた刀が、たとえ鎌や鍬に変わろうと、自分は主人方の領土で、自分の信ずる道を力いっぱい生きられる。左京之進は、そうした幸せをかみしめながら、かっての主人に、楠木正行が、湊川出陣(南北朝内乱初期に、南朝方の楠木正行と、北朝の足利尊氏とが、兵庫の湊川でおこした戦いで、この時楠木氏は戦死する。)をした時の心境を、
“中空にかかる月の如し”
と、詠んでしのんだ。

Tsukisyuraku 正行も、湊川出陣をした時は、大義名分にのっとって、自分が正しいと信じた出陣であったろう。だから気も晴ればれとして、その心は、広い空のまん中に、くっきりと浮かんだ月のように澄んでいたであろう。
 左京之進は、今、自分もまた、そうした同じ心境にあることを思い、澄んだ心を“月”に託して、自分の開拓村を『月』と命名したという。

 なお、左京之進が最初に住みついた所を、土地の人は今でも、“オヤシキ”と呼び、その裏(せど)には、奥方が隠居した所といわれる“奥瀬戸(おくせど)”という屋号があって、その屋敷跡から、中世の鏡七つが発見されている。(「ふるさとものがたり天竜・第5章竜川地区」より)

   ◆       ◆       ◆       ◆

 不思議な地名「月」の由来。享保6年(1721)の月の家数68・人口297、明治5年(1872)には家数69・人口306。それが、平成22年(2010)には、家数47・人口103へと減少しています。

 ■「ふるさとものがたり天竜」INDEX














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