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2014年2月28日 (金)

「池田邑」「舟越一色村」―椎ヶ脇神社に残る渡船役の村名

Shiigawaki1 天竜川右岸、西鹿島にある椎ヶ脇神社の天竜川を見下ろす鳥居奥に、2基の石造物の残骸が置かれています。「御寶前」の文字が刻まれていますので、鳥居前に奉納された常夜燈の名残りでしょうか?

 向かって右の寄進者は「施主池田邑中」とあり、建立は「寛政十戊午年」と読めますので、西暦1798年。向かって左は「敷智郡舟越一色村 渡舟○○」「文化十四丑○○」とあり、西暦1817年の建立です。

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 先ず、「池田邑」とは現在の磐田市池田であり、「舟越一色村」は中区船越町。ともに、幕府からの許可を得て天竜川の渡船役に従事していたのです。渡船の無事を願い、椎ヶ脇神社に奉納したのが、この常夜燈。

Shiigawaki4 江戸時代初期までの天竜川は、椎ヶ脇神社の下流から東西2本の流れとなり、西を流れる川は今の馬込川とほぼ同じ所を流れていました。橋が架けられていなかった天竜川を渡るには2ヵ所で舟に乗って渡るしかなかったのです。

 昔、徳川家康が戦に敗れて西の天竜川まで逃げて来た時、ちょうどそこに船越村の人の船があり、その船のおかげで家康は無事に川を渡り浜松城に戻ることができました。

Tosen ところが、たびたびの洪水を防ぐために堤防を築き、西の天竜川を狭くし、やがて橋を架けてしまったため、船越村の人たちは、渡船の仕事を失うことになりました。

 この時、役に立ったのが、かつて助けた家康から与えられていた朱印状。赫々云々と幕府に懇願し、左岸の池田とともに右岸の船越にも天竜川渡船役の特権を与えられました。船越の人々は、現在の中野町辺りまで出向いて渡船の業に当たっていたというわけです。

 しかし、すべては明治時代に天竜川に橋が架かるまでのこと。今では多くの橋が架かり、簡単に越すことができるようになりました。

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