金次郎像が残る旧「長沢小學校」跡
上阿多古・長沢の長月寺のすぐ上にある学校跡。明治17年(1884)、長沢学校として開校され、昭和39年(1964)に上阿多古小学校へと統合された旧「長沢小學校」跡です。校名板の文字は読めませんが、2本の石柱が校門だったと思われます。
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校門を通ると目の先には、以前、旧「長沢小學校懐山分校」跡を訪れた時にも立っていた二宮金次郎像が残されています。
校門の脇にある石碑には、「此ノ地ハ元小学校ト幼稚園ナリ 時ハ流レ幾星霜 昭和四十年三月閉校ス ココニ学ビシ人々ノ芳流ヲ祈念シココニ刻ム」とあるように、上阿多古小学校新校舎が完成したのは昭和40年(1965)。統合された後も1年間は子どもたちの歓声が響いていたことでしょう。
●私たちが子どもの頃、どこの小学校にでも見られた「二宮金次郎像」・・・
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