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2011年12月21日 (水)

分かりやすい山城「鶴ヶ城」をお勧めします。

 北遠の山城に興味を持ち出して以来、佐久間と愛知県東栄町との国境近くにあったという「鶴ヶ城」を訪ねてみたいと思うようになりました。聞いた話によれば、アクセスもしやすく、かなり分かりやすい城跡とのこと。県道9号を通り、阿多古川沿いに北上し、熊を過ぎて大地野隧道を抜けて吉沢へ下り、佐久間町浦川の川上へ。県道1号との合流の手前で「鶴ヶ城跡→」の看板が立っています。

 看板に従って右折し、坂道を少し登ったところの空き地に車を停車。ここからは、徒歩です。

 かなり長く歩くのだろうと覚悟はしていたのですが、5分ほど歩いたところに「←鶴ヶ城跡」の看板が。少し歩けば、「竪堀」の看板が立ち、ここからはもう城内道です。

 浜松市で発行した「北遠の城」にも、「鶴ヶ城」は紹介されています。

 三遠国境に造られた城であり、相川と吉沢川に囲まれた要害の地である。『遠江風土記伝』に、川上にあり「城主は鶴山大磯之丞、其臣山田半之尉、熊千代丸、時代詳ならず。」と書かれているだけで、他の文献にはまったく見えない城である。標高340mの山頂には30m四方の広さを持つ本曲輪があり、それを中心に4つの曲輪や空堀などが残る。

 印象としては、大変こじんまりとした山城です。築城は、永禄8年(1565)と言われ、奥山郷一円を支配した奥山民部少輔貞益が、三河の徳川氏の侵入に対抗するために設けた出城。しかし、その甲斐もなく、同11年(1568)、三河別所城主伊藤貞次に攻められ落城したようです。

 もしも、あなたが北遠の山城に興味を抱き始めたのでしたら、ぜひ、「鶴ヶ城」をお訪ねください。「土塁」「土橋」「横堀」など、案内表示もしっかりとしていますので、山城ビギナーには勉強になります。

 「鶴ヶ城」の名は、城山を下から見上げると、ちょうど鶴が舞い立つように見えることから付けられたそうです。

Honkuruwa Umadashikuruwa0
本曲輪
馬出曲輪
Yokobori2 Tatebori1
横堀
竪堀
Dorui5 Dobashi8
土塁
土橋

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