だいすき 北遠

  • だいすき!佐久間

    だいすき!春野

    だいすき!水窪

    だいすき!龍山

    だいすき!天竜

サーチ・検索

« 光明山の樹林を飛び回る「ヒカゲチョウ」 | メイン | 拝啓 秋の気配漂う「富幕山」より »

2010年9月11日 (土)

西鹿島「椎ヶ脇神社」と「久根銅山」の幟立

Shigawakijinja3  先日8月24日、自宅そばに祀られている「椎ヶ脇神社」の祭礼が行なわれました。「椎ヶ脇神社」と言っても、コンクリート造りの小さな祠、祭礼と言っても、神官が祝詞を挙げ、氏子である住民に「あんぱん」を配るだけの簡単なもの。

 私の住む磐田市堀之内(旧竜洋町堀之内)堤外(つつみぞと)とは、天竜川の東派川(ひがしはせん=東の分流)の堤防があったところ。昭和13年(1932)に締め切られるまでは、天竜川の分流が流れていました。「椎ヶ脇神社」が祀られているのは、ほぼ堤防のあった場所に当る位置。西鹿島に架かる鹿島橋のたもとの石段を登ったところに祀られている「椎ヶ脇神社」の分社です。

 「椎ヶ脇神社」の社伝によれば・・・

Noboritate  延暦20年(801)、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討に向かう折、天竜川の水かさが増し渡ることができなかったので、土地の人たちが新たに川船を作って将軍を渡した。将軍は大変喜ばれ、人々のために川の水の引くことを祈り、この地に闇淤加美神(くらおかみのかみ)をお祀りした。すると時を経ずして川の水が引いて洲が現れた。

 この洲より鹿が初めて川を渡ったので「鹿原」と言い(今鹿島という)、またその川を「鹿川(ししが)」「鹿ヶ淵」と言う。これより神名を「猪家(ししが)神社」と言い、後に俗称「椎ヶ明神」または「椎ヶ脇明神」と云うことになった。「椎ヶ脇」は「鹿ヶ脇」の転訛したものである。

 古来天竜川流域の水利を守り、航行する船の安全を保ち、堤防の破壊を免れることができた。そのため水害の多い村々は、みなその分霊をお祀りすることになった。

 ・・・とのこと。ところで、あなたの近くに「椎ヶ脇神社」が祀られていますか?祀られているとしたら、それは水難避けの願いを込めたもの。

 西鹿島の「椎ヶ脇神社」には、大正3年(1914)8月に建てられた「久根銅山舩夫一同」の文字が刻まれた「幟立」が奉納されていました。「舩」とは「船」のこと。「舩夫」とは、鉱石船を操った「船乗り」の意味。まさかここで、「久根銅山」の名前と出会うとは思ってもみませんでした。

 【関連記事】『静岡県伝説昔話集』51―「明神淵」
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「椎が脇神社と鹿島の花火」より
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「椎が脇渕の竜宮城」より①
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「椎が脇渕の竜宮城」より②
 【関連記事】北遠の絵葉書「鹿島橋竣工記念寫真」
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「天竜川の川船と河川交通」と古い絵葉書
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「金貸水神」より①
 【関連記事】ふるさとものがたり天竜「金貸水神」より②

コメント

コメントを投稿

天竜川・そまびとの会

天気予報