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2010年5月25日 (火)

「高根城跡と上村遺跡」―千葉からの便り③

72fea58bs  「天竜川・杣人の会」のメンバーが、水窪町地頭方上村の茶畑から眺めているのは、手前の山の刈り込んである所―標高420メートルの山頂の「高根城址」です。現在は、井楼櫓や本曲輪などが復元されていると聞きましたので、登りたいとは思いましたが、時間が掛かると言うことで、今回は眺めるだけに。

 「高根城」は南北朝時代、この地の豪族、奥山氏が築いたと言われていますが、その子孫に当たる中山(旧姓奥山)てい先生に、「西遠女子学園」で家庭科を教えていただきました。卒業後も、西遠女子学園同窓会「東京そでし会」で元気な姿を見せてくれていましたが、現在はもうお亡くなりになっています。

 級友たちは、てい先生のことを「お城のお姫様」と呼んでいました。水窪出身でしたから、佐久間出身の私の家のことを知っていて「石垣の高いところでしょう」と言ってくださいました。それは伯母(父の姉)が娘時代、てい先生のお宅で行儀見習いとして奉公していたため。てい先生の実家は山の中でしたが、「家族は町に出てしまい、使用人が住んでいたがどうなってしまったか分からない」と話していました。

 茶畑に浜松市指定の文化財(史跡)「上村遺跡」の説明看板がありました。綺麗に刈り込んだ茶畑を突っ切って、「上村遺跡」が発掘された鈴木さんのお宅を訪問。「2階に上がると高根城が良く見えますよ」と案内され、遠慮することなく上がってしまいました。

 縁の下からどんな遺跡が出てきたかは聞きそびれましたが、この家の主も、てい先生の奥山家同様、現在は町に住み、「茶摘み時とお盆に帰って来るだけで、後は空き家になっている」と話してくれました。(by 夏目)

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