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2009年12月18日 (金)

心に沁みる山里の風景―春野町「勝坂」

Kassaka0  「静岡県地名大辞典」(昭和57年 角川書店発行)の「勝坂村」の項を引いてみました。

かっさかむら 勝坂村 <春野町>
[近世]江戸期~明治9年の村名。遠江(とおとうみ)国周智(すち)郡のうち。気田(けた)川上流域に位置する。地名は、地内に坂が多いことに由来するという(気田村誌)。駿府藩領、元和5年からは幕府領。村高は、「元禄高帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに40石余。山村のため元禄年間以後耕地の開発はみられない。年貢は金納で、売物2割出・黐(とりもち)役などが賦課され、朝鮮人使節来朝時は池田船橋役を勤めた。延享2年の家数18・人数64、馬1(気田村誌)。地内の勝坂山には秋葉山の奥院があり、同院の本尊不動尊は当村の産神として村人により祀られている。また、勝坂山は「三代実録」貞観元年の条に見える苅原河内神(芽原(はきはら)河内神社)の旧跡と伝える(風土記伝)。「遠淡海地誌」によると戸数22、小字名にコグルミ・モリ山・ノジリ・西キ嶋がある。社寺は、八幡社・曹洞宗全慶寺。明治元年駿府藩領(同2年静岡藩と改称)、同4年静岡県、浜松県を経て同9年再び静岡県に所属。明治2年の戸数22(久保田神社文書)。明治9年篠原村ほか2か村と合併して豊岡村となる。現在春野町大字豊岡の通称地名として残る。

 写真は、気田川に架かる吊り橋「勝坂橋」と高台に建つ旧「勝坂小学校」の校舎。黄色く色づいているのは校庭隅に聳える大イチョウです。「勝坂」と書いて「かっさか」―私たちの心に沁みる山里の風景です。

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