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2009年11月 3日 (火)

「二宮金次郎の銅像」はどこに行った?―旧「宮川小学校」

Kinjiro  二宮尊徳は、日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて、「報徳仕法」と呼ばれる農村復興政策を指導した農政家・思想家。背に薪を背負って本を読みながら歩く幼少時代の姿の銅像が、「勤勉」のシンボルとして戦前の小学校の校庭には盛んに建てられました。

 ・・・とあっさり言ってはみましたが、「二宮金次郎の銅像」って見たことがありますか?これまでに私が紹介して来た「二宮金次郎」の像は、実はすべて石像。まだ、銅像を見かけたことはないのです。はてさて、たくさん建てられたはずの「二宮金次郎の銅像」はどこに行ってしまったのでしょう?

 もうお分かりですね?報徳の「二宮金次郎の銅像」はすべて戦時中の金属供出で、皮肉なことに人を殺す兵器に作り変えられていたのです。

Kinjiro5  そんな証とも言えるものを、春野町の大天狗の面でお馴染みの旧「宮川小学校」跡で見つけました。それが、この写真。「え~、これって銅像?」「いえ、違います。これは石像」。でも、後に回ってみると、台石には「昭和十年四月二十九日 銅像一基」と刻まれたこんなプレートが嵌めこまれているのです。(*写真をクリックすると拡大されて文字が読めるようになります)

 つまり、開戦直前の昭和10年(1935)、「宮川小学校」の校庭には確かに「二宮金次郎の銅像」が寄贈されていたのです。その後、金属供出で失われた銅像は、戦後に石像となって甦ったのだと想像します。おそらく、これが真相!いかがでしょうか?

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