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2009年5月26日 (火)

見つけました―大正15年の「相月諏訪神社」

Aiduki117  このところ、何度か紹介させていただいている「相月諏訪神社」の、古い写真を見つけました。

 見つけたのは、大正15年8月発行の『和享帖』(静岡縣神職會周智郡支部)の中。当時の子どもたちや住民が、着物姿で記念撮影のポーズを取っています。

 『和享帖』のデータによれば、「神社(示土=旧字)名 諏訪神(旧字)社」「社(旧字)格及幣帛供進有無 式内村社(旧字)幣帛供進」「創建 不明」「御祭神御名 建御名方命」「特殊齋典 大和舞奉奏」。写真をよく見れば、拝殿前の御神木は現在も昔のまま。資料によれば、明治45年(1912=大正元年)の相月(あいづき)の世帯数は338戸、人口は1526人となっていますので、大正15年(1926=昭和元年)の当時も、現在と比べたらかなり賑やかな集落だったろうと推測できます。その後の人口流出は、相月にだけ起きたことではありません。

Suwajinja2  明治8年に定められた「神社祭式」では、「幣帛(へいはく)」として布帛などの現物のほか、金銭を紙に包んだ「金幣」を加えることとされていました。つまり平たく言えば、例祭の日に国から金銭が贈られる格式のある神社が、「幣帛供進」ということだったのでしょう。

 ところで、写真の頃には、この神社のどこかに、あの昔話に出てくる大蛇が棲んでいたのでしょうか?

 ●相月には諏訪神社という・・・
 ●「相月諏訪神社」の境内の大きな岩の上に・・・
 ●「相月(あいづき)諏訪神社」の前の水田跡の傍らに・・・
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 ●「相月諏訪神社」について、佐久間出身のMさんから、次のような・・・
 ●「相月(あいづき)」は、佐久間町城西地区の集落です・・・
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