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2009年4月26日 (日)

「子生タワ」の「タワ」とは「凹み」の意味

Koumitawa2  明光寺の山で見た「子生石(こうみたわ)」については、すでに紹介しました。ただし、どうして「タワ」と読むのかは不明とさせていただきました。その後も、「子生石」について気にはしていましたが・・・。

 柳田國男(1875~1962)は、わが国の民俗学を確立した功労者。その柳田が『山の人生』の中で、明光寺の「子生石」に触れていますので紹介します。

 遠州奥山郷の久良幾山には、子生タワと名づくる岩石の地が明光寺の後ろの峰にあって、天徳年間に山姥ここに住し、三児を長養したと伝説せられる。

 竜頭峰の山の主竜築房、神之沢の山の主白髪童子、山住奥の院の常光房は、すなわちともにその山姥の子であって、今も各地の神に祭られるのみか、しばしば深山の雪の上に足跡を留め、永く住民の畏敬を繋いでいた。

 これが、柳田が記した「子生石」に関する記述です。天徳年間とは西暦957~960年。今から1050年ほど昔のこと。柳田は「タワ」をカナで記しています。

 となると、「タワ」とは一体、何のことでしょう?柳田がカナ書きした「タワ」の意味について考えてみました。

 先ず「石」と書いて「タワ」と読ませるにはムリがあります。普通に考えれば、「タワ」とは「たわむ」と同じように、「鞍部」「凹(へこ)み」の意味でしょう。

 つまり、山姥の爪痕と言い伝えられる、あの不思議な「凹み」を意味しているのが「タワ」ではないでしょうか?「子生タワ」とは「石」を示しているのではなく、「子生みの時に残した爪痕の凹み」の意味?

 あるいは、「タワ」とは「凹んだ箇所」―「子生石」の下に広がっているらしい「穴」の意味?

 柳田國男の記述をヒントに、「子生タワ」の「タワ」について考えてみました。みなさんは、どう考えますか?

 ●柳田国男の民俗学を政治思想史的にとらえる常民大学運動の合同研究会が・・・
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