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2009年2月19日 (木)

「久根鉱山」選鉱所跡が・・・

Kune  国道473号から天竜川方面を見晴らすと、「久根鉱山」選鉱所跡が見えます。「久根鉱山」を紹介する記事中でしばしば見かけるこの姿。天竜川の向こう岸からかな?と思っていたのですが、偶然、こちら側確認できる場所に出くわしました。

 少しだけ歩いてみました。すると・・・

 道の脇に建てられた赤錆びた柵―H字鋼を柱にしてあるのだと思いましたが、よく見るとこれがレールの再利用。写真を見ると、断面の形が良く分かると思います。片側が太くてやや幅が狭くて、この形はあきらかに鉄道に使われたレールの形。

Rail  「久根鉱山」の鉱石運搬を狙った鉄道には、以前紹介した「旧国鉄佐久間線」の計画もありました。また、JR飯田線「中部天竜」駅の構内には、「久根鉱山」専用のプラットホーム跡も残っているようです。しかし、このレールはそんなものではありません。あくまでも、専用線。おそらく、鉱山で採掘された鉱石は、トロッコに乗せて運ばれ、川べりのあの選鉱所に運ばれ選別。そこから、船に積まれて天竜川を下って行ったのだろうと思います。

 「久根鉱山」での採掘は昭和45年(1970)まで続きましたが、その後、選鉱所もトロッコも役割を終え、未だに坑道から出る水を処理する施設が残っている以外は「廃墟」となっています。

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コメント

プチプチ横からすみません汗

久根鉱山からの搬出に関してはゴールは足尾銅山の本山選鉱所でした。
当時、久根鉱山で選鉱をした際に足尾銅山と同じ鉱毒事件を引き起こしてしまい、下流住民よりひどくたたかれたそうです。その後は船に乗せて浜松で引き揚げ、国鉄で足尾行きでしたが、中部天竜まで飯田線が開通すると久根鉱山より索道で対岸に渡り、そこからさらに山を越えて飯田線へ連絡していたそうです。
現在も鳴瀬のあちらこちらに索道が転がっています。
また、現在も社宅の中に残っている索道はあれは大井鉱山、アユ釣り鉱山からの搬出用の索道ではないかと考えています。
あちらの方面は船が使用できませんでしたから。

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