廃校に立つ「二宮金次郎像」に学ぶこと
1.柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり
親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し
兄弟仲よく孝行つくす
手本は二宮金次郎
2.骨身を惜まず仕事をはげみ
夜なべ済まして手習読書
せわしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ
手本は二宮金次郎
3.家業大事に費(ついえ)をはぶき
少しの物をも粗末にせずに
遂には身を立て人をもすくう
手本は二宮金次郎
作詞・作曲ともに不詳ながら、「文部省唱歌」として明治44年(1911)から「尋常小学校」の2年生で歌われた『二宮金次郎』です。
「代々同じ村に住み、同じ水を飲み、同じ風に吹かれた村民ではないか。死ぬのを黙って見ている道理はあるまい。貧乏人の中には怠けてそうなった者もおり腹が立つだろうが、それでもなお銭一文を施し、米ひとすくいを与えるのが人情というものだ。未来の実りを信じて今こそ飢餓を救うのだ」―と、これは金次郎が余裕のある農民たちに語った言葉だとか。
2基とも廃校となった小学校跡に佇むもの。両手で本を持つのが「旧宮川小学校」で、左手で背負子の肩紐を握るのが「旧豊岡小学校」。
「代々同じ村に住み、同じ水を飲み、同じ風に吹かれた村民ではないか・・・」。
「派遣切り」「内定取消し」「契約打切り」「途中解雇」―100年に1度と言われる経済危機の厳しい年の初めを迎え、学校は廃校となりながらも「勤勉」「努力」の象徴として校庭に立ち続ける「二宮金次郎像」を、私は、私なりの思いで眺めてみました。
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