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2008年12月20日 (土)

浦川小学校に掲げられた「榎本武揚」の扁額

 Urakawagakkou 11月末、浦川小学校を訪ねた時に撮影した「浦川学校」の扁額。函館五稜郭の戦いで知られる幕臣「榎本武揚(えのもとたけあき)」の名前と落款が刻まれていました。

 校長先生の説明によれば、額の裏に「金原明善氏の紹介に依て揮毫を請願し矢高濤一翁寄付す」 と、「金原明善」「矢高濤一」の2人の郷土の偉人が関係していることを示す文字が書かれているとのこと。しかも、原本が校長室に残っているとなれば、これは、ただ事ではありません。

Enomoto そもそも「榎本武揚」とは、東京生まれの幕臣、政治家。安政3年(1856)長崎海軍伝習所に入所、文久2年(1862)オランダ留学。明治元年(1868)海軍副総裁となりました。江戸城開城後、官軍による軍艦の接収を拒否し、函館五稜郭で官軍に抵抗するが降伏。黒田清隆の庇護の下、北海道開発に従事。7年(1874)海軍中将兼駐露公使となり、翌年樺太・千島交換条約を締結。海軍卿、駐清公使を経て第1次伊藤内閣逓相に就任。黒田内閣農商務相・文相、第1次山県内閣文相、第1次松方内閣外相等を歴任し、現在の「東京農業大学」の前身「政治家徳川育英会英學農業科」を設立したことでも知られています。

 その「榎本武揚」と「金原明善」「矢高濤一」との関係については調べてみますが、浦川小学校には大変な「お宝」が掲げられていました。

 【関連記事】開校百年記念―榎本武揚揮毫による「浦川学校」の記念碑

 【関連記事】「浮森」とは?―暴れ天竜と闘った矢高濤一
 ●天竜川治水に全財産を投じた「金原明善」の名は・・・
 ●「暴れ天竜」と戦った矢高濤一(やたかとういち)翁・・・
 ●佐久間町浦川の柏古瀬(かしわごせ)に祀られる「南宮神社」にお参り・・・

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