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2008年8月29日 (金)

佐久間に残された「かいと」の地名

 以前、「向皆外(むかがいと)」の地名について、次のように書いたことがありました。

 「かいと」という音には、「海土」「貝戸」「谷戸」「垣内」など、いろんな漢字が当てられていますが、どうやら「開墾した土地」を示しているらしいのです。

 「角川日本地名大辞典22静岡県」(昭和57年10月発行)の中に、今は失われてしまったもの含め、佐久間の「小字」名が収録されています。実に興味深い資料で、カタカナ表記の地名も多く収録されていますので、かなり入念に拾われたものと思われます。驚いたことに「かいと」の付く「小字」名が、「向皆外」以外にもたくさんあったことを知りましたので、紹介することにします。

 【浦川】上垣外、下垣外、中垣外、早瀬垣外
 【半場】ラマ皆外、大皆外、上皆外
 【佐久間】北皆外、下皆外、前皆外、セト皆外、大皆外、上皆外、平名皆外、中皆外、小皆外、内皆外、ヒカゲ皆外、丸皆外、軒皆外
 【大井】大皆外、前皆外、河内皆外、向皆外、日向皆外、長皆外、越皆外、久保皆外、ホツ皆外、横皆外、西皆外、荒井皆外、梶皆外、窪皆外、セリ西皆外、皆外中、上皆外
 【戸口】酒屋皆外、西皆外、横皆外、茴刈皆外、屋峯皆外、上皆外、皆外皆外、内皆外、上手皆外、軒皆外
 【相月】上皆外、皆外、マキタ皆外、長皆外、西皆外、岩皆外、、北皆外、中皆外、皆外平
 【奥領家】向皆外、上皆外、中皆外、東皆外、下皆外、日向皆外

 あまりにも多くて、見落としがあるかも知れません。同じ地区で、同じ「小字」名のものは、本当は別の集落なのかも知れませんが、この中からは抜きました。正確な読みも分かりません。それでも、こんなにたくさんの「かいと=皆外、垣外」があったとは・・・。現在も残っている集落がどれほどあるのか知れませんが、木を伐り山を焼き、佐久間の焼畑が広がる度に次々と柵で囲まれて行った歴史が、この「かいと」の地名に残されているような気がします。

 *ラクダさんの「浜松に合併した北遠の言葉」によれば、地元では「畑」のことを「かいと」「がいと」と呼んでいるようです。

 ●難読地名その2です。城西地区に「向皆外(むかいいと)」という地名があります・・・
 【関連記事】「城西(しろにし)」は「若子城」の西?
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 ●佐久間町城西地区・向皆戸(むかがいと)の「若子城址」の丸太看板は・・・
 ●「城ブーム」の中、気軽に近づける「若子城」の人気が・・・
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コメント

私の実家は、城西小学校の南100mに在る日光大権現神社の向かいです。隣の本家(平出)の屋号を下神原(しもかんばら)といいます。この神社からJR城西駅手前までを「下神原村」と江戸時代に称していました。そして、本家から水窪川を挟んだ対岸に小作人が居住していたことから先祖が向皆戸となずけたということです。その証としてこの地区を「下神原の内、向皆戸村」と古図(1600年)に記されています。本家と向皆戸地区の強いつながりは、今でもこの地区の皆が承知しているかと思います。なお、住宅地図では向皆外となっていますが、正しくは向皆戸です。

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